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インド最大の企業グループであるタタ・グループの会長ラタン・タタ氏が2024年10月9日、ムンバイで亡くなりました。86歳でした。ラタン・タタ氏死亡のニュースはインド国内にとどまらず、世界のビジネス界を駆け抜けました。

日本の皆さんはラタン氏が会長を務めるタタ・グループの名前を聞いたことがあるでしょうか?

タタ・グループはビルラ、リライアンスと並ぶインド最大の財閥です。グループ企業にはタタ・モータース、タタ・スチール、TCS(ソフトウェア)、エア・インディアといった、インドを代表する大企業、「タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレス」などのホテル業、タタ・ソルト、タタ・ティーなど毎日のテーブルに上る日用品に至るまで様々な製品を製造販売しています。



ラタン・タタ氏は1962年に曽祖父が創立したタタ・グループに入社、現在は会長を務めていました。彼の企業人としての功績は大変大きなものです。

先見の明のある彼は、インドが高度成長期に入ろうとしていた時期に電気通信会社タタ・テレサービシズ、タタ・コンサルタンシー・サービシズなど次々に新規事業を開拓、上場しました。
また、企業の合併・買収にも積極的であり、米フォード・モーター傘下だった英高級車ブランドの「ジャガー」と「ランドローバー」ブランドを米フォード・モーターから23億米ドルで買収、Tata Starbucks Limitedとしてスターバックスとのジョイントベンチャーを実現など、インドの一企業であるタタ・グループをグローバル企業に育て上げました。

このように多岐にわたる事業を展開するタタ・グループですが、その基本的な経営理念はラタン・タタ氏の人生観、理念を反映しています。タタ・グループはインドで横行する賄賂を一切禁止し、特定政党への政治献金はせず、収益の一定割合を社会に還元することを規則で義務付けるといったユニークな経営を行いました。さらに彼は巨額の配当収益を農村支援や教育、医療、文化などに投じ、社会に還元、貢献してきました。

2009年3月タタ・モータースは世界最安値の4ドア自動車「Nano」を発売し、世界中で話題になりました。その価格は11万ルピー(当時のレートで21万円)でした。どういう動機でこのような超安値の車を作ろうとしたのでしょうか。
ある日、ムンバイの路上で1台のスクーターに一家4人が乗っているのを見て、こうした人々も車が持てるようにしたい、とラタン氏は考え、低価格の車の開発を思いつきました。この話が象徴しているように、ラタン氏は上流、中流階級の人々を対象にしたビジネスだけでなく、底辺の層も含めた社会全体の発展を視野に入れて事業を目指しました。それというのも、こうした姿勢がひいては長期的な企業の存続に通じるとの信念に貫かれていたからです。

彼を評するのに「down to earth」という言葉を耳にしました。「素朴」、「堅実」といった意味で使われますが、大財閥タタ・グループの会長でありながら、こういう言葉で表される人こそがラタン・タタ氏なのです。ですから、インドの国民はみな心から彼を尊敬し、哀悼の意を表しています。

ラタン・タタ氏亡き後も、タタ・グループにより彼の意思を引き継いだビジネスが展開されることを心から願っています。